奉仕の成長(ピリピ1:3-6)

Scripture(聖書の言葉)


3 あなたがたを思う私の祈りは、いつも神への賛美にあふれています。 4 そして、私の心は喜びに満たされるのです。 5 それは、あなたがたが福音(イエス・キリストによる救いの知らせ)を初めて聞いた日から今日まで、全力をあげて、その知らせを宣べ伝える働きに協力してくれたからです。 6 あなたがたのうちに良い働きを始められた神は、必ずそれを恵みのうちに成長させ、やがてキリスト・イエスが帰って来られる日までに、それを完成してくださると、私は堅く信じています。

Observation(観察)


ピリピの人々の熱心な伝道は、パウロの心を喜ばせた。興味深いのは6節の「あなたがたのうちに良い働きを始められた神は、必ずそれを恵みのうちに成長させ、やがてキリスト・イエスが帰って来られる日までに、それを完成してくださる」という箇所だ。伝道の働きは成長し、やがての日に完成する。今は小さな働きであっても続けるならば神はそれを大事にし、成長させてくださるのだ。諦めず、投げ出さず、続けて行こう。

Application(適用)


直接的な伝道で無くても、教会の奉仕の働きはすべて伝道に繋がっている。一人の人が救われたなら、それは教会全てが喜ぶべき物だ。自分の働きを空しい物とは思わず、喜んで続けよう。

Prayer(祈り)


イエス様、小さな奉仕ですが続けていられることを感謝します。不器用な物ですが成長させてください。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

熱心に働く(エペソ6:5-8)

Scripture(聖書の言葉)


5 奴隷は主人に従い、最善を尽くしなさい。キリストに仕えるのと同じようにしなさい。 6-7 主人の目の前でだけ一生懸命に働き、陰では怠けるようではいけません。神が望まれることを、心を尽くして行い、キリストのために働くように、いつも熱心に喜んで働きなさい。 8 あなたがたが奴隷であろうと自由人であろうと、良い行いには、一つ一つ主が報いてくださることを忘れないように。

Observation(観察)


会社員は奴隷とは違うが、組織という権威と規定に従わなければならない点で、一致している。パウロはキリストに対して行うように勤勉であるよう勧めている。そこには主の報いがあるとも書かれている。自分の置かれている状況で誠実に仕えよう。

Prayer(祈り)


イエス様、会社での働きの中で不忠実な点がありました。赦してください。真摯に仕え働くことが出来ますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

父なる神を模範とする(エペソ5:1-2)

Scripture(聖書の言葉)


1子どもが、かわいがってくれる父親を見ならうように、何をするにも神を模範としなさい。 2 思いやりに満ちあふれた者となりなさい。

Observation(観察)


神を模範とすることをパウロは私たちに求めている。「かわいがってくれる父親を見ならうように」とある。神は私たちを実の子供としてかわいがってくださる。そして父親として生きる模範を示してくださっているのだ。聖書から私たちはその模範を見ることが出来る。神が求めておられることは、神を愛すること、そして隣人を愛し、思いやる心を持つことだ。

Application(適用)


他人との関係作りが上手では無い私は、隣人を心配することがあっても上手に表現することが出来ない。なにか表した自分の善意が偽善ととれられてしまうのでは無いかという恐れがある。けれども恐れずに愛を表すものとなりたい。簡単な声かけからスタートして行こう。

Prayer(祈り)


イエス様、神様を模範として隣人に寛容と愛を示したいです。自分が愛されるためでは無くあなたが愛されるために行いたいです。小さな一歩を積み重ねて行けますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

賜物の目的(エペソ4:11-13)

Scripture(聖書の言葉)


11 さてこうして、ある者には使徒としての賜物が与えられ、ある者にはすぐれた説教者としての賜物が与えられました。また、キリストを救い主として信じるように人々を指導する賜物を受けた者もいれば、羊を見守る羊飼いのように、神の民となった人たちの世話をし、教え導く力を受けた者もいます。

12 なぜこのように、それぞれに賜物が与えられたのでしょうか。それは、神の民となった人々が、神のためによりよく働けるよう整え、キリストの体である教会を、力にあふれた、完成した状態へと建て上げるためです。 13 そしてついに、私たちは、救いについて、また救い主である神の子について同じ信仰を持つに至り、主にあって完全に成長した者となるのです。

Observation(観察)


パウロは信じた一人一人に与えられる賜物について、教会を完成した状態に建て上げるため、と述べている。また、13節では「神の子について同じ信仰を持つに至り、主にあって完全に成長した者となるのです。」ともある。教会を建て上げること、教会に集う人々が同じ信仰(イエス様を主とする信仰)を持ち、完全に成長したものとなること、すなわち互いの成長のために賜物は用いられるべきである、という事だ。賜物には非常に目立つ種類のものがあり、逆に静かな、目立たないものもある。目立つ賜物を受けた人はおごり高ぶること無く、目立たない賜物を受けた人も自分を卑下すること無く、誠実に互いに仕え合い、成長しよう。

Prayer(祈り)


イエス様、自分の賜物についてなにかアンバランスなものを感じていましたが、それは賜物がアンバランスなのでは無く、受けた私が歪んだ認識を持って受けていたせいだと分かりました。どうか私を真っ直ぐなものにして下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

ユダヤ人と外国人の一致(エペソ3:9-11)

Scripture(聖書の言葉)


9 それは、万物を造られた神が、世の初めからの計画どおりに、ご自分が外国人の救い主でもあることを、すべての人に説き明かすためでした。

10 またそれは、天のもろもろの支配者たちに対して、神の全家族――ユダヤ人も外国人も――が教会の中で一つとなっている姿を見せ、神の完全な知恵を示すためです。 11 これこそ、神が主キリスト・イエスを通して、かねてから計画しておられたことなのです。

Observation(観察)


ユダヤ人に対する神のご計画は失われていない。現在のイスラエルの状況を見ると非人道的な国家に映るかもしれない。それでも神は彼らに対する約束を諦めない。クリスチャンの中には、ユダヤ人への約束は完全にクリスチャンに移されたという考えを持つ人も居る。しかしこの聖書の箇所は、ユダヤ人も私たち外国人も教会の中で一つになることが神のご計画であると明言している。中東情勢を見ると絶望的になってしまいそうになるが、目で見えることよりも神の約束を信じよう。

Prayer(祈り)


イエス様、ユダヤの人々を私の中でどう捉えるか、迷いがあります。しかし個人の思いよりも御言葉を優先します。やがて兄弟として手を取り合うことが出来ますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

一方的な愛(エペソ2:4-5)

Scripture(聖書の言葉)


4 しかし神は、なんとあわれみに満ちたお方でしょう。こんな私たちを深く愛してくださって、 5 罪のために霊的に死に果て、滅びる定めにあった私たちを、キリストの復活と共に生かしてくださいました。救われる価値などない私たちに、ただ一方的な恵みが注がれたのです。

Observation(観察)


一方的な恵みによって私たちは救われた、とパウロは語る。一方的とは、相手の状況とは無関係に行う、という意味だ。私たちがどれだけ罪にまみれ、神に反逆した生活をしていても、神は一方的に私たちを選び、救いに招いてくださった。8節には「しかも、そのキリストを信じることすらも、あなたがたから自発的に出たことではありません。それもまた、神からの賜物(贈り物)です。」とも書かれている。イエス様を信じるという行為ですら神が下さったものなのだ。

Application(適用)


一方的な愛、と言うものは人間同士においてはあまり経験しないかもしれない。最も近いのは親からの子供への愛かもしれない。しかしそれですらうまくいかず悩み苦しんでいる人が多く居る。わたしも(生育環境から)その一人だった。それゆえ、一方的な愛、と言うものになじみがなく疑ってしまうことがあるかもしれない。しかし神の愛は人間のそれでは無い。その愛に於いても人間の想像をはるかに超えた愛を人間に注いでくださる。その証明がイエス様の十字架だ。私たちが御言葉に、そして十字架に帰る都度、少しずつ、神の愛が体感として分かって行くのかもしれない。

Prayer(祈り)


イエス様、あなたを信じることすら自分の力では無く、神様の賜物であることを学びました。自分で選んだような高ぶった気分になっていたことを悔い改めます。あなたの犠牲と愛を理解するものに少しずつで良いですから変えて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

神の愛(エペソ1:7)

Scripture(聖書の言葉)


7 神の愛は、そのひとり子の血を流し、私たちの罪を帳消しにしてくださるほど大きいのです。この愛によって私たちは救われました。

Observation(観察)


神は私たちのためにイエス様が十字架につけられ死なれることを計画された。それは私たちを愛するが故であるとパウロは言っている。自分の子の血を流し死ぬことを計画するとは、およそ人間には想像出来ないほどの決断だ。しかもそれは神を知らない罪人達のためであるのだから、神の愛の大きさに改めて驚く。

Application(適用)


私には子供は居ないが、愛犬たちがいる。例えば彼らを赤の他人の救済の為に血を流し死なせるということを考えられるだろうか。想像しただけで悲しみが襲ってくる。神がイエス様を死に渡された時の悲しみはどれほど出会っただろう。例え復活することが分かっていたとしても、イエス様の苦しみをみて、悲しまれない神では無い。だから私は救いの価値を小さく扱ってはならない。父なる神の悲しみとイエス様の死に至るまでの痛み苦しみによって与えられた救いなのだ。

Prayer(祈り)


イエス様、救いを感謝します。ことばで表すことが出来ません。私の生き方を通して貴方への感謝を表したいです。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

主は我が旗(詩編60:1-5)

Scripture(聖書の言葉)


1ああ神よ。
あなたは私たちを拒み、その守りをもくずされました。
御怒りにふれて、私たちは見捨てられたのです。
主よ、もう一度、情けをかけてください。
2 あなたはこの国を恐怖で震撼させ、引き裂かれました。
主よ、深みまで揺るがされたこの地を今、
回復してください。
3 さんざんに打ちのめされて、
私たちの足はよろめいています。
4-5 しかし、あなたはこんな私たちを
奮起させるための旗を下さいました。
真理を愛する人々が、この旗のもとに集うためです。
そうしてこそ、あなたは愛する国民に
解放をもたらしてくださるのです。
どうか、力に満ちた右の手をふるって、
私たちを救い出してください。

Observation(観察)


ダビデがシリア人との戦いの中で困難な状況になったときにこの詩編が出来たと言われている。弱っているイスラエルに対し神は「奮起させるための旗を下さいました。」と書かれている。出エジプト記には「主は我が旗」という言葉が出てくる。旗とは、自分が何に属するのかを明確に敵にも味方にも示すための物だ。私たちは神に属する物だというアイデンティティーを明確にし、立場を示すときに、私たちは主の旗の下に集うことになる。その旗は私たちを奮起させ、敵の支配を打ち破る力となり、解放を与えてくださるのだ。

Prayer(祈り)


イエス様、いままで旗色を明確にしないクリスチャンであったことを恥じ、悔い改めます。私は主につくものです。戦いに奮起する力を下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

互いを受け入れる(ローマ15:7-9)

Scripture(聖書の言葉)


7 そういうわけですから、キリストがあなたがたを受け入れてくださったように、あなたがたも互いにあたたかく受け入れ合いなさい。そうすれば、神がほめたたえられるのです。 8 イエス・キリストが来られたのは、神がご自分の約束に対して誠実な方であることを示すため、また、ユダヤ人を助けるためであったことを思い出してください。 9 それはまた、外国人も救われて、自分たちに対する神のあわれみのゆえに神をほめたたえるためでもあったことを、思い出してください。

Observation(観察)


パウロはロマ書の中で、異なるバックグラウンドを持つクリスチャンが互いを尊重し合って教会を合ってあげて行くよう、多くの言葉を持って薦めている。現代の教会は多様化しており、自分の好むスタイルの教会に流れていってしまう。しかし本当にそれは正しいのだろうか。自分の好みの言葉をかけられ、好みの賛美歌を歌う教会を探して転々とするのは信仰の成長に繋がるとは思えない。むしろ自分のスタイルと異なる教会であっても、しっかり腰を据え、謙虚に学び良いところを受け入れて成長して行く事が正しいありようでは無いだろうか。

教会には信仰歴の長い人も短い人も、あるいは求道者や未信者も集まる。各々の人生の背景も国籍も様々だ。そのような中で自分に似ていないからと排除する事をしていたら教会は成り立たない。違いを認めつつ、共に神を崇め、各々が聖書に向き合い成長し続けることが重要だ。

Application(適用)


教会だけを信仰生活の基盤に置いていては、どこかに無理が来てしまう。個々人が日々聖書に触れ、学び、イエス様にしっかり繋がってこそ、異なる価値観の人々を受け入れることが出来るのだ

Prayer(祈り)


イエス様、当時の人々が互いを尊重し励まし合って教会を建て上げていったように、私も隣の人を励ます働きがしたいです。そのためにも御言葉を通してしっかり信仰の根を張りたいです。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

信仰の多様性(ローマ14:2-4)

Scripture(聖書の言葉)


2 偶像に供えられた肉を食べてもよいかどうかで議論してはいけません。あなたがたは、偶像に供えられた肉を食べても別に悪くはないと信じているかもしれません。しかし、ほかの人たちの信仰はもっと弱いのです。彼らは、偶像に供えられた肉を食べるのは悪いとして肉を食べず、むしろ野菜を食べるほうがよいと思っています。 3 肉を食べてもよいと思っている人は、食べない人を見下してはいけません。また、食べない人も食べる人を非難してはいけません。神はそのどちらをも受け入れて、ご自分の子どもとしてくださったからです。 4 どちらも神に仕えているのであって、人に仕えているわけではありません。神に対して責任を負うのであって、人に対して責任を負うのではありません。正しいか、まちがっているかは、神がその人に教えてくださるはずです。

Observation(観察)


パウロは偶像に供えられた肉を食べるか否かについて、互いの信仰から来る行動を批判し合わないように戒めている。食べる人も、避ける人も、各人の神に対する信仰からの行動だ。現代のキリスト教は非常に多くの教派に分かれてしまっているが、互いに批判し合わないように配慮し合っていることが伺われる。

Application(適用)


ここしばらく自分の信仰のルーツと今の信仰の姿勢、そして現在通っている教会の理念を比べ、悩んでいた。私自身の信仰の姿勢が、いま通っている教会と完全に一致しているかと言えば、決してそうでは無い。だからといってどこか別の教会に移ったとしても、同様に異なりを感じることだろう。神が求めておられる最も重要なことは互いに違いを認めて、受け入れ合うことなのだ。私は誰かを批判できるほどの信仰者では無い。むしろスタイルの違う人々を尊敬し、彼らから学ぶべきなのだ。

Prayer(祈り)


イエス様、日々聖書を読むことで少しずつ自分の信仰のありようが変化していることを感じます。私たち一人一人がユニークな存在として作られたように、聖書の理解や従う姿勢も人それぞれで、また皆が成長し変化することが分かりました。だからこそ互いを裁かず受け入れ合うことが大事だと教えられました。私が誠実に聖書に向き合う一方で、寛容で人を愛する人になれますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。