青銅の蛇(2列王記18:4)

Scripture(聖書の言葉)


4 ヒゼキヤ王は高台の礼拝所を取り除き、石の柱を壊し、忌まわしいアシェラ像を切り倒しました。また、人々が香をたいて祈るようになっていた、モーセの作った青銅の蛇を粉々にしました。それは王が指摘したとおり、元をただせば、ただの青銅にすぎなかったのです。

Observation(観察)


ヒゼキヤの改革の一環として、彼はモーセの青銅の蛇を破壊した。かつてイスラエルの民たちが毒蛇に噛まれた事によって死者が出たとき、神はモーセに命じてこの青銅の蛇を造らせ仰がせたとある。この青銅の蛇を仰いだ者は蛇の毒によって死ななかったとある。
神の言葉の真実さを表すこのモニュメントも、ヒゼキヤの時代には本質を失い、偶像と化していた。

Application(適用)


私の中に、形骸化し、宮城となってしまっている信条やジンクスは無いだろうか。かつての神による超自然的な現象であっても、本質を見誤れば偶像と化してしまう。私は注意深く、神が望まれ、言われていることは何なのか理解しなければならない。

Prayer(祈り)


イエス様、過去に縋りそれを偶像化してしまう傾向が私にもあります。いつもあなたに新しく聴くことを忘れないように助けて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

招きに応じた人々(2歴代誌30:17-20)

Scripture(聖書の言葉)


17-19 エフライム、マナセ、イッサカル、ゼブルンから来た人々の多くはきよめの儀式を受けていなかったので、汚れたままでした。それでレビ人は、彼らのために過越の子羊をほふり、彼らをきよめました。それからヒゼキヤ王が彼らのために祈ったので、規則に反してはいたものの、彼らは過越のいけにえを食べることが許されたのです。王は祈りました。「恵み深い主よ。たとえ正しい手順できよめられていない者でも、父祖の神、主に従う決心をした者の罪をお赦しください。」 20 主は王の祈りを聞き、彼らを滅ぼすようなことはしませんでした。

Observation(観察)


ヒゼキヤ王が復活させた過越の祭に全イスラエルが招かれたが、応じたのは決して多くはなかった。応じてエルサレムにやってきた人々はきよめの儀式も受けていない状況であった。そのような彼らであってもヒゼキヤの執り成しで彼らは祭りへの参加が許された。

Application(適用)


十分な者で無くても神の恵みに与れることは、私にとって大きな励ました。いつも自分の足り無さに悩み、神に近づくことが許されないのではないかという思いに苦しめられてきた。ヒゼキヤの元に来た人々が他の人々と違ったのは唯一、呼びかけに応じたことだ。わたしも神の呼びかけを拒むこと無く、近づき、従ってゆきたい。

Prayer(祈り)


イエス様、あなたの呼ばれるところに行きます。自分が足りない者とはもう言いません、導いてください。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

神の知恵で生きる(ヤコブ3:13-17)

Scripture(聖書の言葉)


13 良い生き方をする人は、柔和な行いを身につけた、知恵のある賢い人です。 14 しかし、もし自分にねたみや敵対心があるなら、決してその知恵をひけらかしてはいけません。それは偽善です。 15 ねたみや敵対心は、神からの知恵ではなく、この世のものであり、真理に逆らう悪霊から来るものです。 16 ねたみや敵対心のうず巻くところでは、秩序が乱れ、あらゆる悪がはびこっています。 17 しかし、神からの知恵は純粋であり、平和とおだやかなやさしさに満ち、思いやりと良い実に満ちています。

Observation(観察)


ヤコブは私たちが妬みや敵対心によって生きるのでは無く、平和とおだやかな優しさに満ちる、神の知恵によって生きることを命じている。人間の本来の性質は争い、憎み、ねたむものだが、神の御性質はその正反対だ。神に従って生きるとは、自分の肉の性質、方向性とは全く異なる選択をし続ける生き方なのだ。

Application(適用)


生まれたままの性質のままでこれを行うことは出来ない。ただ神にお従いしたいという願いと祈りによって、少しずつ自らの考えかたを軌道修正してゆくことが必要なのだ。

Prayer(祈り)


イエス様、自分の性質が如何に醜く、神に反する者なのかが聖書を読むたびに教えられます。しかしそのままでいたいとは思いません。少しずつでも変えてゆきたいです。イエス様、助けて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

聖なる道(詩編35:8)

Scripture(聖書の言葉)


8 かつては荒野だった所に主要道が通ります。
それは「聖なる道」と呼ばれ、
心の汚れた者は通れません。
神が共に歩むので、
どんなに愚かと言われる人でも道に迷いません。

Observation(観察)


イスラエルへの裁きからの回復の一つの表れとして、シオンに向かう道が設けられることが書かれている。神の恵みの回復は、神の臨在に向かう道をお示し下さることなのだ。素晴らしいことはどんなに愚かな人とであっても神が共にその道を行かれ、その人は道を迷うことは無いと言うことだ。

Application(適用)


私は自分の愚かさを嫌というほど思い知らされてきた。しかしそのような私でさえ神は共に歩みシオンへの道を迷わないように導いてくださるのだ。この神に感謝を禁じ得ない。道は示されている。私はこの道に歩もう。

Prayer(祈り)


イエス様、愚かな私にも道を示してくださり感謝します。しかしあなたが居なければ簡単に道を誤ってしまいます。どうか一歩一歩、教えてください。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

神の思いを求める(ヤコブ1:5-8)

Scripture(聖書の言葉)


5 神が何を望んでおられるか知りたいなら、遠慮なく、直接尋ねなさい。神は喜んで教えてくださいます。願い求める人には、神はいつでも惜しみなく、あふれるばかりの知恵を授けてくださるからです。そのことで、決してとがめたりはなさいません。 6-8 ただ、その場合、神は必ず答えてくださると確信して願い求めなさい。疑う人の心は、風に波立つ水面のように不安定なものです。そんな疑いの心では、主に何を期待してもむだです。

Observation(観察)


神の思いを知りたい、といつも願い想像するが、気付くと自分の過去の経験や願いが入り交じり、自分の思いとすり替わってしまうことが多い。それでも聖書は神に、「遠慮なく、直接尋ねなさい。」と私たちが神に求めることを許している。一点だけ注意が書かれている。「その場合、神は必ず答えてくださると確信して願い求めなさい。疑う人の心は、風に波立つ水面のように不安定なものです。そんな疑いの心では、主に何を期待してもむだです。」ということだ、神に求める事には曇りの無い、必ず答えを頂けるという信仰が必要だ。
いままで神は答えてくださるだろうかと疑いつつ聞いていたような気がする。神に尋ねるときは突き抜けた思いで大胆に求めよう。

Prayer(祈り)


イエス様、あなたの望みを知りたいです。自分の考えでは無くて、あなたの願うところを知り行いたいです。疑う人間的な思いを追い出します。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

救いの城壁(詩編26:1-4)

Scripture(聖書の言葉)


1ユダの民の歌う声を聞きなさい。
その日、国中にこのような歌が流れます。
「私たちの町はびくともしない。
神の救いの城壁で囲まれているからだ。」
2 門を開けて、自由に入らせなさい。
神を愛する人なら、だれでも中に入れます。
3 神を信頼し、いつも主のことに思いをはせる者を、
神は何の心配もないように守ってくださいます。
4 どんなときでも、神である主に信頼しなさい。
あなたの永遠の力は主のうちにあるからです。

Observation(観察)


救いの城壁に私たちは招かれ、入っている。どのような敵の攻撃にもびくともしないのだ。神に信頼する者を神は何の心配もないように守ってくださるのだ。
現実に目をむければ悩みと困難がそこら中に転がっている。しかし霊の世界では魂は圧倒的に守られていることを忘れではならない。
肉の世界よりも霊の世界のほうがより現実であると信仰に立ち、霊の世界の現実がこの世の中に反映することを信じたい。

Prayer(祈り)


イエス様、肉の目で見えることよりも霊の世界で起きていることの方に重きを置いて生きることが出来ますように。あなたの救いの城壁の中に入ります。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

神の訓練(ヘブル12:10-13)

Scripture(聖書の言葉)


10 肉親の父親は、ほんの短い間だけ、それも、限られた知識に基づいて私たちを訓練します。ところが神は、私たちの最善を願って、神のきよさを共有させようと訓練をしてくださるのです。 11 罰を受けた当初はだれも気持ちがよいはずはなく、むしろ傷つけられたと感じるものです。しかしあとになれば、それが自分の益となり、すべての面で良かったことがわかります。

12 ですから、しっかり立ち上がりなさい。 13 そして、まっすぐな道を切り開きなさい。そうすれば、たとえ弱くて足が不自由でも、倒れたり、けがをしたりせず、かえって丈夫になるでしょう。

Application(適用)


私が幼い頃父は家庭を捨て、去ってしまった。従い父から子としての訓練を受けたことが無い。聖書には神は子である私たちに訓練をして下さるとある。父親という者が分からない私にはこの訓練が神の愛なのか、神の怒りなのかの区別がつかない。しかし「あとになれば、それが自分の益となり、すべての面で良かったことがわかります。」とある。いまはこの御言葉に信頼しよう。
しっかりと立って自分の人生を神と生きるために、この訓練は必要なのだ。神に信頼しよう。

Prayer(祈り)


イエス様、訓練は痛くて苦しいです。出来れば避けたいです。けれどもあなたのご計画の内にあることであれば耐え忍びます。一人では耐えられません。どうか一緒に居てください。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

待ち望むこと(ヘブル11:1-3)

Scripture(聖書の言葉)


1信仰とはいったい何でしょう。それは、望んでいることが必ずかなえられるという確信です。また、何が起こるかわからない先にも、その望んでいることが必ず待っていると信じて疑わないことです。 2 神を信じた昔の人たちは、この信仰によって賞賛されました。 3 信仰によって私たちは、この世界が神のことばによって造られ、しかも、それらが無から創造されたことを知るのです。

Observation(観察)


主にある望みが必ず叶うと信じて疑わないことが信仰であるとヘブル書記者は言う。信じ続けることは時に本当に困難がある。何度も確信を疑わせる様な出来事がやって来る。しかし「この信仰によって賞賛されました」とある。あるいは目的の物事を手にするよりも、信じ続けることの方が望みの実態なのかもしれない。
私には30年来願い、未だ叶えられない一つの望みがある。あるいは死ぬまでそれは叶わないのかもしれない。しかしそれでも望み続ける事が神の喜ばれる事ならば、諦めず、望み続けよう。

Prayer(祈り)


イエス様、何度も確信を揺さぶられながらも信じ続けてきました。あらゆる状況がNOといっても諦めることが出来ません。この地上でこの望みが叶わなくてもかまいません。ただあなたの約束を信じ喜び続ける信仰を下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

受け入れられているという確信(ヘブル10:21)

Scripture(聖書の言葉)


21 また、このキリストという偉大な大祭司が神の家を支配しておられるのですから、 22 私たちは、まちがいなく受け入れられるという確信と真実な心をもって、神の御前にまっすぐ進み出ようではありませんか。すでに、私たちの心はキリストの血を注がれてきよめられ、体はきよい水で洗われているのです。

Observation(観察)


イエス様が大祭司として御自身の血を持ってわたしたちの罪をきよめ、贖いを成してくださった。これ以上の保証はこの世には無い。私たちの過去がどれほど罪に汚れた者であったとしても、私たちは受け入れられるのだ。罪の力は、それから逃れられない、赦されないという誤った確信を与える物だ。私たちはそれを打ち破って、神の赦しを受け入れる側に立たなければならない。

Application(適用)


犯した罪はもはや私たちを苦しめ続ける者では無く、かえって神の恵みの大きさを喜ぶための者と変えられた。私は誤った罪意識をすて、感謝することに心を向けたい。

Prayer(祈り)


イエス様、罪の赦しということの深遠さに目を向けさせてくださり感謝します。真理は単純であると同時に神のとてつもない深い知恵によって出来ています。私の心がいつも真理に向かいますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

イエス様の血潮(ヘブル9:13-14)

Scripture(聖書の言葉)


13 古い制度のもとで、雄牛ややぎの血、あるいは若い雌牛の灰が、人々の体を罪からきよめることができるとすれば、 14 ましてキリストの血は、どれほど確実に私たちの心と生活を変えることでしょう。キリストご自身のささげられた血は、古い規則に縛られる悩みから私たちを解放し、生ける神にお仕えしたい気持ちに駆り立てるのです。

Observation(観察)


イエス様の血は、私たちの心と生活を変えると書かれている。そればかりか神に仕えたい気持ちを与えてくださるともある。クリスチャン生活にはイエス様の血によるきよめが必須である。十字架で流されたイエス様の血こそが私たちの信仰生活の基盤であり保証なのだ。

Prayer(祈り)


イエス様、私の心と人生にイエス様の血潮を注いできよめ、あなたに喜んでお従いする者に変えて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。