足を洗い合う(ヨハネ13:3-8)

Scripture(聖書の言葉)


3 イエスは、父がすべてのものを与えてくださったことと、自分が神のもとから来て、また神のもとに帰ろうとしていることを知り、 4 夕食の席からゆっくり立ち上がり、上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰に巻かれました。 5 そしてたらいに水を入れ、弟子たち一人一人の足を洗い、腰の手ぬぐいでふき始められたのです。 6 シモン・ペテロの番になりました。ペテロは言いました。「主よ。足を洗っていただくなど、もったいなくてとてもできません。」 7 イエスは言われました。「なぜこんなことをするのか、今はわからないでしょう。だが、あとでわかるようになります。」 8 「いいえ。どうかもう、おやめください」とペテロは言いはります。「もしわたしが足を洗わなければ、あなたはわたしの仲間にはなれません」とイエスは答えられました。

Observation(観察)


イエス様が弟子達の足を洗い始められ、ペテロの番になった時、ペテロは勿体なく感じそれを拒んだ。それに対してイエス様は「もしわたしが足を洗わなければ、あなたはわたしの仲間にはなれません」と返答された。弟子が互いに洗い合うことをイエス様は命じ去られたのだ。
足とは最も汚れている部分を指す。私たちが教会の友の弱いところ、傷ついているところを洗う行為が求められている。それは簡単なことではない。だれも教会の仲間の弱いところや傷を直視したくはない。それを可能とするのは互いのつながりが十分に深くなっていることが必要だ。
また洗われる側も自分の内面を明らかにすることを求められる。これも十分な関係が築かれていなければ出来ることではない。互いに愛し合うこと、と文章で書けば麗しいものに見えるが、実際にはきれい事ではない。これは涙と痛みの上に成立する慰めと癒しなのだ。

Prayer(祈り)


イエス様、隣人を愛する事が私にとってはとてもチャレンジな事だと正直に言います。私が足を洗ったり洗われたりするには十分な関係が育っていないのかもしれません。私自身の心の壁がそうさせているように思います。けれどもイエス様に従い、弟子になりたいです。私の頑なさを打ち破って下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

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