つまずきの石(ローマ9:30-32)

Scripture(聖書の言葉)


30 では、どういうことになるでしょう。信仰によって与えられる神の救いを求めなかった外国人は、救いの機会を得ました。まさに、信仰による救いです。神は、信仰によって無罪とされる機会をお与えになりました。 31 一方、ユダヤ人は律法を守ることによって、神の救いを追い求めようと努力したのに、それを得ることができませんでした。 32 なぜでしょう。信仰によってではなく、行いによって救われようとしたからです。彼らは、キリストというつまずきの石につまずいたのです。

Observation(観察)


ユダヤ人は与えられた律法によって何が正しいことかを神に教えられていたが、自らの罪によって律法に反するものとなり、かえってのろいを受けるものとなってしまった。一方で私たち外国人は律法を持たないものであったが、かえって行いでは無く信仰によって神の救いを求め、それが与えられた。ユダヤ人達にとってイエス様は、行いによる救いという彼らの考えを根本から否定する存在「つまずきの石」であった。行いによって救われるのならそれはもはや恵みでは無い、パウロの言うとおりである。自分の罪深さも至らなさもそのまま、神の前にさらけ出して恵みを乞おう。

Prayer(祈り)


イエス様、罪の属性に苦しめられ、自分の弱さに絶望しています。絶望のなかでこそ神の素晴らしさを感じることが出来るのかもしれません、それを希望にします。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

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