Scripture(聖書の言葉)
37-38 ちょうど、ノアの時代のように。当時の人々は洪水が襲う直前まで、宴会だ、結婚式だと陽気に楽しんでいました。 39 何もかも押し流されてしまうまで、洪水のことなど信じようとしなかったのです。わたしが来る時も、それと同じです。
40 その時、二人の人が畑で仕事をしていると、一人は天に上げられ、一人はあとに残されます。 41 家事をしている二人の女のうち、一人は天に上げられ、一人はその場に残されます。
42 主はいつ来られるかわからないのだから、いつ来られてもいいように準備をしていなさい。
43 寝ずの番をしていれば、どろぼうに入られることもありません。 44 同じように、日ごろの備えが万全であれば、わたしが何の前ぶれもなくやって来ても、少しも困ることはないはずです。
Observation(観察)
イエス様は御自身の再臨について、その日が何時であるかイエス様も存じないと言われ、ただいつ来られるのかは父なる神の決められるのだから、いつでも備えていなさい、と言われた。
大正時代の再臨運動やホーリネスのリバイバルなど、イエス様の再臨を期待して人々が熱狂的になった例がある。現代から見ると批判的、冷笑的になってしまいそうになるが、当時の世相の抑圧感から、神に根本的な解決を求める思いは真実な物であっただろうと思う。
Application(適用)
「主イエスよ来て下さい」とヨハネは言う。黙示録を読む人々にも「来て下さい」と言いなさいとヨハネは命じている。再臨を待望することは決して間違いでは無い。
「来て下さい」と言うためには私はいつも備えていなくてはならない。何の備えも整えも無く、イエス様を望んだとしたら、この聖書箇所のようになってしまう。
再臨は希望だ。二〇〇〇年間人々はずっと求め願ってきた。これまでそれが起きなかったから明日それが起きないということはあるだろうか。願い期待し続けることが神に対する私のあるべき姿勢なのだ。
Prayer(祈り)
イエス様、あなたが来られ一切を新しくされること、新天新地の訪れを切に望みます。私たちを集め、神の民として共に住んでくださる約束を感謝します。あなたの約束を信じます。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。