覆いを取り除く(2コリント3:14-18)

Scripture(聖書の言葉)


14 覆いがかけられたのは、モーセの顔だけではありません。イスラエルの人々の霊的理解力も覆われたのです。今でも、聖書が朗読される時、ユダヤ人の思いには、厚い覆いがかかっているように思えます。というのは、聖書のほんとうの意味を知ることも、理解することもできないからです。この覆いは、キリストを信じて初めて取り除かれるのです。 15 確かに今日でも、彼らがモーセの書を朗読する時、その心には覆いがかかったままです。

16 しかし、だれでも罪に背を向け、主のほうに向く時、その覆いは取り除かれます。
17 主は、いのちを与えてくださる御霊です。御霊のおられるところには自由があります。 18 私たちには顔の覆いがありません。鏡のように、主の栄光をはっきり映すことができます。そして、主の御霊が私たちのうちで働いてくださるにつれ、私たちはますます主に似た者にされていくのです。

Observation(観察)


御言葉を真に理解するには聖霊様の助けが必要だ。最初モーセを通してユダヤ人に与えられた律法は、当初は神の栄光のあるものであったが、人々の心に覆いがあるために時代を下るほどに歪められ、本質を失ってしまった。イエス様が現れ正しく御言葉を伝えても、かえって彼らは頑なになってしまった。「16 しかし、だれでも罪に背を向け、主のほうに向く時、その覆いは取り除かれます。」とパウロは言っている。ユダヤ人であれ誰であれ、イエス様を通して悔い改めて神の方を向くなら、御言葉を妨げる覆いは取り除かれ、御言葉が真っ直ぐ入るようになる。そればかりではない。「18 私たちには顔の覆いがありません。鏡のように、主の栄光をはっきり映すことができます。」とあるように、私たち自身が神の栄光を映し出すものと変えられるのだ。なんという光栄であろう。

Application(適用)


御言葉を読むとき、ともすれば自分なりの解釈や経験に照らし合わせてしまい、真っ直ぐに読むことが出来ないことがある。もう一度原点に立ち返って、何も足さず、引かず、御言葉に向き合いたい。この二年の毎日のデボーションを通して、少しずつ考え方感じ方が正されているように思い、感謝に堪えない。

Prayer(祈り)


イエス様、聖霊様を通して御言葉を正しく理解する思いを下さり感謝します。日々の学びと祈りを通して、私を変えて下さい。やがてイエス様の栄光を映し出すものとなれますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

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