祈り続ける難しさ(ルカ17:1-8)

Scripture(聖書の言葉)


ある日、イエスは弟子たちに、いつでも祈り、また答えられるまで祈り続けることを教えようと、一つのたとえを話されました。 2 「ある町に、少しも神を恐れず、人を人とも思わない裁判官がいました。 3 同じ町に住む一人の未亡人が、たびたびこの裁判官のところへ押しかけ、『訴えられて困っています。どうか私を守ってください』と願い出ました。 4-5 裁判官はしばらくの間、相手にしませんでしたが、あまりのしつこさに我慢できなくなり、心の中でこう考えました。『私は神だろうが人間だろうがこわくないが、あの女ときたらうるさくてかなわない。しかたがない。裁判をしてやることにしよう。そうすれば、もうわずらわしい思いをしなくてすむだろう。』」 6 主は続けて言われました。「このように、悪徳裁判官でさえ音を上げてしまうのなら、 7 まして神は、昼も夜もひたすら訴え続ける信者たちを、必ず正しく取り扱ってくださるはずです。そうは思いませんか。 8 神はすぐにも答えてくださるのです。ただ問題は、メシヤのわたしが帰って来る時、いったいどれだけの人が信仰を持って祈り続けているかです。」

Observation(観察)


悪徳裁判官の喩えでは、イエス様は祈り続けることの重要性を語られた。裁判官とはその名の通りさばき、審判者を表す。(勿論神は正義の神であり悪徳ではないが)しかしイエス様の私たちに投げかけている最大のメッセージは「ただ問題は、メシヤのわたしが帰って来る時、いったいどれだけの人が信仰を持って祈り続けているかです。」という箇所である。一日二日祈ることは誰でもする。深刻な課題があれば断食して祈祷山に上り一週間祈ることもあった。しかし課題が過ぎ去れば祈りは終わってしまっていた。イエス様は「祈り続けているか」と問いかけられている。イエス様の再臨まで続く祈りをするためには、それほど大きな原罪という課題を謙遜に認識しているかどうかなのだと思う。

Prayer(祈り)


イエス様、謙遜さについてまだ道を歩み始めたばかりです。原罪の重さとその赦しの大きさをもっと深く理解させて下さい。その理解が祈りの原動力となりますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

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