目が開かれるために(イザヤ1:8-10)

Scripture(聖書の言葉)


8 続いて主の声がしました。「だれをわたしの民への使いとしよう。だれが行ってくれるだろうか。」

「主よ、私が行きます。私を使いに出してください。」

9 「では行って、こう言うのだ。

『おまえたちは、わたしのことばを何度も聞くが、
悟ることがない。わたしが奇跡を行うのを何度見ても、
それが何を意味するのか理解することができない。』
10 彼らの理解力をにぶらせ、耳を閉じ、
目を見えないようにしなさい。
彼らには、見たり聞いたり悟ったり、
また病気を治してもらったりするために、
わたしのもとに戻ってほしくないのだ。」

Observation(観察)


イザヤに告げられた民への宣告は、神の意図を理解しようとしない民の態度をみて、霊的な耳と目を閉じてしまうというものであった。捕囚になって牽かれて行くまで民の目は開かれなかった。
時として神はご自身を気づかせるために荒療治をされる。逆にそこまでされなければ解らないほど、私たちの目は霞み、耳は遠くなってしまう事がある。

Application(適用)


私個人は2年前、本当に心身共に打ちのめされる経験を経て、ようやく神の元に返ってきた(礼拝には出ていたし奉仕もしていたが、神が第一の生活ではなかった)。いまは神に愛されることを受け入れ神を愛するものとなった。人生を通して体験する痛みは消して無駄ではない。傷つく度もっと神を愛し、神に愛されるものになろう。

Prayer(祈り)


イエス様、いまだ足りないものですが、それでも愛されていることを感謝します。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

コメントを残す