Scripture(聖書の言葉)
16 そういうわけですから、食べ物や飲み物のことで、あるいはユダヤ教の祭り、新月の儀式、安息日の決まりを守らないなどという問題で、だれにも批評させてはいけません。 17 それらは、キリストが来られる前にだけ有効であった、一時的な存在にすぎないからです。つまり、キリストという本体の影でしかなかったのです。
Observation(観察)
パウロは律法の様々な祭りや儀式、決め事を「キリストという本体の影」と評している。イエス様を予表する儀式に過ぎない、ということだ。イエス様ご自身が来られれば、その影に意味は無くなる。ユダヤ教においては律法の儀式がそれにあたるが、私たち異邦人に取ってはどうだろうか。様々な哲学、多様な宗教、イデオロギーの全てが真理そのものであるイエス様の影に過ぎないのではないだろうか。それにも関わらず相変わらずわたしたちはその影の解釈に追われている。何が正しいか二千年にわたって議論し、戦っている。
わたしたちは真理に立ち返らればならない。その知識や知恵の背後にある真実な方に立ち返られば成らない。
Prayer(祈り)
イエス様、真実に気づいても立ち返ることの難しさを知っています。真実に背をむけているならなおさらです。まずは神を知っている私たちが堂々と神をあかしし、イエス様を伝える者として下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。