律法の束縛、キリストの自由(ロマ7:2-5)

Scripture(聖書の言葉)

2 一例をあげれば、女性は結婚すると、夫が生きている限り、律法によって夫に束縛されています。しかし夫の死後は、もはや束縛されません。結婚の規定はもう適用されないのです。 3 ほかの男性と結婚したいなら、結婚してかまいません。そのようなことは、夫が生きているうちは罪ですが、夫の死後なら、やましいことは少しもないのです。

4 同様に、かつて律法は、あなたがたの「夫」すなわち主人でした。しかし、あなたがたはキリストと共に十字架上で死んだのですから、律法との婚姻関係は解消されました。もう律法に支配されることはありません。そして、キリストの復活と同時に、あなたがたも復活し、新しい人になりました。今は、死者の中から復活された方と結ばれているのです。それは、神のために良い実を結ぶためです。 5 私たちの古い性質がまだ生きていた時には、欲望が私たちの中で思うままにふるまい、神の命令に逆らって、罪深い行いという死に至る腐った実を結びました。

Observation(観察)

パウロは律法の支配を婚姻に例えている。結婚している間は婚姻にまつわる律法のゆえに妻は夫に支配されるが、夫の死後は妻はそれらの律法から解放される。

私たちはかつては律法に支配されていたが、イエス様の十字架の死によってその支配から解放されているとパウロは言っている。そればかりか、律法と別れた私たちは、復活されたイエス様に結ばれ、神のための良い実を結ぶことができる様になるとされている。かつて原罪に支配されていた時には、「罪深い行いという死に至る腐った実を結んだ」とされている。誤解を恐れずに言えば、主人を変えるということは生み出す実を変えてゆくということだ。これからの生涯、私たちは何を生み出したいか、神の喜ばれる良い御霊の実か、それとも死に至る腐った実か。選択は私たちに委ねられている。

Application(適用)

私たち人間は何かに頼らなければ、よりかからなければ生きていけない弱い存在なのだと学ばされている。しかし何に寄りかかるかを私は真剣に見極めなければならない。朽ちかけた老木のような自分を頼るか、煌びやかに飾った罪の誘惑に自分を委ねるか、それとも神の知恵を求め、みことばをしたいもとめるか、人生の後半にかかりますますその選択は重要になっている。知恵を呼び求め、真剣に神と共に生きる生涯を選びたい。

Prayer(祈り)

イエス様、律法の支配からイエス様の十字架の下に移され、神の愛を生きる道に移してくださり感謝します。パウロも述べている通り律法そのものは悪ではありませんが、そればかりを見ていては罪を想起させそこにフォーカスしてしまいます。むしろイエス様が何をされどのように人々を愛されたかを見て、神の愛を見続ける者になりたいです。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

コメントを残す