ねじれた生き方(ローマ1:18-21)

Scripture(聖書の言葉)

18 しかし、真理を押しのける、罪深い邪悪な人々には、神の怒りが天から下ります。 19 なぜなら、彼らは神の真理について本能的に知っているからです。神が、この知識を彼らの心にお与えになったのです。 20 世界が創造されてからこのかた、人々は、天地や、神がお造りになったすべてのものを見て、神の存在とその偉大な永遠の力をはっきり知っていました。ですから、彼らには弁解の余地がありません。 21 彼らは、確かに神を知っているのです。けれども、そのことを認めず、神を礼拝せず、日々神に守られていることを感謝しようともしません。やがて彼らは、神がどのようなお方か、また自分たちに何を求めておられるかについて、愚かなことを考えるようになりました。その結果、彼らの心はくもり、訳がわからなくなったのです。

Observation(観察)

パウロは福音を受け入れない人々に関して、「彼らは神の真理について本能的に知っているからです。神が、この知識を彼らの心にお与えになったのです。」と言っている。全ての人はその心の深いところに神の存在を確信する核(コア)の様な物を持っていると感じる。そして天地の運行や被造物を見、さらに神のお働きを感じるのだ。しかしそれでも神の実在を否定するなら、なぜなら本能で神を知っているのに、知性とか理性がそれを否定するなら、私たちの心は二律背反にねじれた状態になってしまう。パウロはその状況を「その結果、彼らの心はくもり、訳がわからなくなったのです。」と表現している。

私たちは自分たちの本能的確信に沿って神を信じ、神を愛する生き方を選択すべきだ。心と知性がバラバラな方向を向いたような生き方はどこかで破綻してしまう。ここ数日、ソロモンの知恵について書いていたが、神あっての、神から与えられてこその知恵である。知恵のみで神を失ってしまうなら、その知恵はただ空しい物となってしまう。


Prayer(祈り)

イエス様、私たちがこの世に存在した瞬間から、神を神とする思いを与えて下さって感謝します。時にそれを否定する考えや学問がやってきますが、私は自分の確信によってあなたを信仰の対象とします。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

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