Scripture(聖書の言葉)
32 さあ、いちじくの木から教訓を学びなさい。いちじくの葉が出てくれば、夏は間近です。 33 同じように、このようなことが起こり始めたら、わたしはもう戸口まで来ているのです。 34 それらのことが全部起こってから、この時代は終わりになるのです。
35 天地は消え去りますが、わたしのことばは永遠に残ります。 36 しかし、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。天使ばかりか、神の子さえも知らないのです。ただ父だけがご存じです。
37-38 ちょうど、ノアの時代のように。当時の人々は洪水が襲う直前まで、宴会だ、結婚式だと陽気に楽しんでいました。 39 何もかも押し流されてしまうまで、洪水のことなど信じようとしなかったのです。わたしが来る時も、それと同じです。
Observation(観察)
イエス様の再臨と世の終わりについて、イエス様ご自身もそれがいつかは分からないが、確実に起きることとして教えられた。天地は巻き取られるように終わること、信仰を失わなかった者は命を損なわれず、新しい体を得て神に会うこと、およそ私たち人間には想像が及ばないことだが、イエス様はその様な私たちをノアの時代の人々にたとえられた。洪水の直前まで通常の生活を彼らは楽しんでいた。「洪水のことなど信じようとしなかった」ともある。
私たちは日々の生活の中で、どれだけ世の終わり、新しい世について考えるだろう。正直生活に追われてほとんど忘れているというのが正直なところだ。
しかしイエス様は「いちじくの木から教訓を学びなさい。」と言われた。なんらかの予兆が必ずあると示されている。私たちは心を鈍くせず、神の国について、いつも意識して生きる者でありたい。
Application(適用)
再臨と世の終わりは、世界の決算であり、個々の送ってきた人生が測られる時でもある。この世の面倒から離れられることを喜ぶ一方、その面倒な世界でどう生きてきたかが問われる。クリスチャンは救いによって天の御国にゆく事が保証されているが、決算が免れる訳ではない。いわば赤字決算でも許されるが決算表は出さなければならないことに変わりは無い。今この瞬間をどう生きているか、自分を点検しよう。
Prayer(祈り)
イエス様、世の終わりがいつかは分かりませんが、備えることは怠らないようにしたいです。正しい思いで日々を生きることが出来ますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。