神から来る悲しみ(Ⅱコリント7:9-11)

Scripture(聖書の言葉)

9 今では、あの手紙を送ってよかったと思っています。苦しませたからではなく、その苦しみのおかげで、あなたがたが神様に立ち返ったからです。それは、神様がご自分の民に経験させたいと望んでおられる、良い意味での悲しみだったのです。もうこれで、そちらに行ってきびしくしからないですみます。 10 神様は時々、罪を断ち切り、永遠のいのちを求めさせるために、私たちに悲しみを与えます。そのような悲しみを嘆いてはなりません。しかし、この世の人の悲しみは、真の悔い改めに導く悲しみではないので、永遠の死を食い止める力がありません。

11 考えてもごらんなさい。主が与えられたこの悲しみは、どんなに益となったことでしょう。あなたがたはそこで絶望せず、かえって、私が手紙で指摘した罪を取り除こうと、誠意をもって努力しました。

Observation(観察)

パウロは前の手紙で、教会に蔓延っている罪を除くよう強く命じた。そのことについて、「今では、あの手紙を送ってよかったと思っています。苦しませたからではなく、その苦しみのおかげで、あなたがたが神様に立ち返ったからです。それは、神様がご自分の民に経験させたいと望んでおられる、良い意味での悲しみだったのです。」と述べている。

Application(適用)

罪から立ち返るために、人生には時に大きな悲しみが起きる。しかしそれは苦しめることが目的ではなくて、深く悔い改め、より神を求めるために神ご自身から与えられる物だ。悲しみがやって来るときは本当に辛いが、同時に神様の慰めもある。苦しんでいるからこそ見いだす喜びもある。罪の中で傲慢なままであったら気づけない喜びだ。その様なところにこそ神の慈愛とご計画を見出せるのだ。

有名な詩編119編にはこう書いてある、「苦しみにあったことは私にとって幸せでした。それにより私はあなたのおきてを学びました。」今苦しんでいても神の慰めは必ずある。これはこの数年私自身が罪と悔い改め、病と癒やし、高ぶりと謙遜を通して実体験したものだ。

Prayer(祈り)

イエス様、「罪汚れはいや増すとも、素の恵みもまたいやますなり」という聖歌があります。苦しいとき、それを思い出して、あなたの慰めを何度も何度も受けました。まだまだ失敗はあるかもしれません、でも、貴方に顔を向け悔い改めることは許されています。これからの人生、失敗も含めて、ご一緒して下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

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