Scripture(聖書の言葉)
9 死に通じる計画にも栄光があったのなら、人々を神との正しい関係に導く計画には、なおさら栄光が満ちあふれるのです。 10 事実、モーセの顔の最初の栄光は、新しい契約の圧倒的な栄光に比べれば、取るに足りないものです。 11 もし消え去ってゆく古い方法にも天の栄光が満ちていたとすれば、私たちの救いのために立てられた、永遠に続く神の新しい契約には、はるかにまさった栄光があるはずです。
12 この新しい栄光は決して消え去らないと確信しているので、私たちはきわめて大胆に語れるのです。 13 そしてモーセのように、栄光の消えていく様子をイスラエルの人々から隠すため、顔に覆いをかけたりはしません。
14 覆いがかけられたのは、モーセの顔だけではありません。イスラエルの人々の霊的理解力も覆われたのです。今でも、聖書が朗読される時、ユダヤ人の思いには、厚い覆いがかかっているように思えます。というのは、聖書のほんとうの意味を知ることも、理解することもできないからです。この覆いは、キリストを信じて初めて取り除かれるのです。 15 確かに今日でも、彼らがモーセの書を朗読する時、その心には覆いがかかったままです。
16 しかし、だれでも罪に背を向け、主のほうに向く時、その覆いは取り除かれます。 17 主は、いのちを与えてくださる御霊です。御霊のおられるところには自由があります。 18 私たちには顔の覆いがありません。鏡のように、主の栄光をはっきり映すことができます。そして、主の御霊が私たちのうちで働いてくださるにつれ、私たちはますます主に似た者にされていくのです。
Observation(観察)
長い引用になってしまったが、モーセに与えられた律法による栄光と、イエス様によって神に立ち返ったものに与えられてる栄光を比較している。
モーセの顔の覆いは取り去られた栄光を隠すためであったが、私たちに対してパウロは、「だれでも罪に背を向け、主のほうに向く時、その覆いは取り除かれます。」と述べている。
私たちの放つ栄光の光は、主に似たものとなり、主の鏡のように変えられた私たちが、主の栄光を映し出すことなのだ。
Application(適用)
私たちは主の栄光を表しているだろうか、顔を覆い、うつむいて神の方を向くことすら躊躇してはいないだろうか。私たちがどのような状況にあろうと、神は私たちが顔を向けることを拒絶なさらない。だから神の方を向こう。御顔を拝し栄光の受け、自ら輝きを映し出すクリスチャンになろう。
Prayer(祈り)
イエス様、病気であっても経済が苦しくても、犯罪者であっても神に向ける顔がないなどということはありません。いつでも罪に背を向けるならあなたに会うことを許して下さいます。ダビデが苦しみの中でも主を仰ぎ、賛美したように、私もあなたを見上げます。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。