Scripture(聖書の言葉)
2 もしあなたが、聞いたことのない特別なことばである異言を語る場合、それは神への語りかけであって、人々へのことばではありません。人々には、そのことばが理解できないからです。あなたは聖霊の力によって語るのですが、それはみな隠された奥義なのです。 3 しかし、神から託されたことばを語る者は、人々を励まし、慰め、人々の主にある成長を助けます。 4 ですから、異言を語る者は、自分の信仰を成長させますが、神のことばを語って預言する者は、教会全体が成長することと、きよくなることとを助けるのです。 5 私はあなたがたがみな異言を語ることを望んでいますが、それにもまして、神のことばを語って預言することを望みます。なぜなら、聞いたこともないことばで話すよりも、預言することのほうが、はるかにまさっており、有益だからです。もっとも、異言のあとで、その内容をわかるように説明できるなら、それも少しは役立つでしょう。
Observation(観察)
パウロは教会に与えられた賜物は教会の益になる範囲で用いるべきだと言っている。今日本の教会のほとんどでは異言については明確な立場を取っていないが、聖書では「それは神への語りかけであって、人々へのことばではありません。人々には、そのことばが理解できないからです。あなたは聖霊の力によって語るのですが、それはみな隠された奥義なのです。 」と明確に書かれている。一方で、解き明かすものがいない場合は教会ではなく一人で祈りなさいとも書かれている。
一方でパウロは預言の賜物を求めることを薦めている。母国語で語られる神の励ましは、教会にとって大きな励みになるからだ。一方で預言者と称する一団が教会を渡り歩き、教会を混乱させているという事実もある。教会のなかで正しく賜物を育てるシステムができあがってゆく事を臨む。
Application(適用)
私は異言で祈るようになって25年経つ。経験した人にしか伝わりにくいが言語中枢が神に向かって解放されている感覚がある。また外国人の友人に彼女が知らないはずの日本語の異言で祈られたことがある。こう書くと特殊な人のようだが全て私に起きた事実である。
聖書に従い、より優れた賜物である預言を求めるものとなりたい。ただ、求めるものが訓練され、教会の枠の中で正しく用いられる体制が先に作られなければならない。神のお働きに期待しよう。
Prayer(祈り)
イエス様、少なからずあなたの賜物を経験し、不思議を体験してきました。あらゆるものはあなたの栄光の為です。教会を建てあげるためです。正しく用いることができますように、イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。