やがて神にお会いする日(Ⅰコリント13:11-12)

Scripture(聖書の言葉)

11 それは、こんなことから説明できるでしょう。子どもの時の私は子どものように話し、子どものように考え、子どものように判断していました。しかし、大人になると考え方も成長し、今では子どもっぽいこととは縁を切りました。 12 同様に、今の私たちの神に対する知識や理解は、そまつな鏡にぼんやり映る姿のようなものです。しかし、やがていつかは、面と向かって神の完全な姿を見るのです。いま私が知っていることは、おぼろげで、ぼんやりしています。しかしその時には、いま神様が私の心を見通しておられるのと同じように、すべてがはっきりわかるでしょう。

Observation(観察)

能力に限界のある人間は、神の全貌を計り知ることは出来ない。このことをパウロは「今の私たちの神に対する知識や理解は、そまつな鏡にぼんやり映る姿のようなものです。」と述べている。私たちが知っていると思っていることもぼんやりとした輪郭に過ぎない。

しかし、仮に私たちの持っている聖書の知識、知恵が本質の断章の様なものであっても、私たちが救いを受け、喜んで生きるには十分なものだ。「さらに」素晴らしいことが待っている、神の本質にやがてお会いする日が来る。このことに期待しよう。

Application(適用)

私たちが神の全貌を今知ることが出来ない一方、「いま神様が私の心を見通しておられるのと同じように、すべてがはっきりわかるでしょう。」とあるとおり、神はしっかりと私を見ていて下さる。子供の時は両親の考え方は理解できなかったが、彼らは私のために最善をしてくれた。同様に今、神は私に最善をなして下さっている。

Prayer(祈り)

イエス様、やがての日にあなたにお会いできる約束を感謝します。いまあなたのことがわからなくても、あなたは私のことをご存じです。いまこのときを感謝します。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

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