つまづき(Ⅰコリント8:4-9)

Scripture(聖書の言葉)

4 では、この問題はどうなるでしょう。偶像に供えた肉を食べてもよいのでしょうか。私たちはみな、偶像など実際には神ではなく、神様はおひとりだけで、ほかにはいないことを知っています。 5 ある人は、偉大な神々は天にも地にも数多くいると考えています。 6 しかし私たちは、父なる神ただおひとりであることを知っているのです。この神様が万物を創造し、人間をご自分のものとして造られたのです。また私たちは、ただ一人の主、イエス・キリストがおられることを知っています。この方がすべてのものを造り、私たちにいのちを与えてくださるのです。

7 けれども、クリスチャンの中には、このことがわかっていない人もいます。そういう人はこれまでずっと、偶像を生きているもののように考えてきたので、ただの偶像に供えられたにすぎない物を、あたかも実在する神々に供えたかのように思ってしまうのです。そのため、それを食べることがひどく気になり、傷つきやすい良心が痛むのです。 8 ただ、このことを覚えておいてください。 9 ただし、いくら自由といっても、あなたがたがそれを食べたために、あなたがたよりも良心の傷つきやすいクリスチャンがつまずかないよう、くれぐれも注意してください。

Observation(観察)

偶像に献げた肉を食べて良いかどうかについて、パウロは群像は神ではないのだから「神様は、私たちがそれを食べるか食べないかなど気にかけておられません。食べなくても損にはならないし、食べても得をするわけではありません。」と言っている。しかし、その行動が他の新しいクリスチャンを悩ませるなら、それは正しい行動ではない。

私たちの取る行動は、全て神のために益となるようにしたい。そればかりではなく兄弟を達を悩ませ、苦しめるような言動がないか、自分をチェックしよう。

Application(適用)

ずいぶん昔、クリスチャンのある友人が取った行動で、しばらく躓いたことがあった。今思えば、その人の取った行動も適切ではなかったし、私の反応も過敏すぎた。聖書に照らし合わせずこれは悪だ、と決めつけてしまった。結果何日間かは気まずい思いをし、大切な時間を無駄にしてしまった。

同じ事を繰り返さないためにも、他者の言動には明らかに聖書に反さない限り、寛容で居ようと思う。

Prayer(祈り)

イエス様、私の行動が人を躓かせるようなことがあれば、改めます。教えて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

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