復活を信じる(マルコ16:12-14)

Scripture(聖書の言葉)

12 その日の夕方、二人の弟子がエルサレムから田舎へ向かう道を歩いていました。そこへイエスが現れましたが、とっさには、だれだか見分けがつきませんでした。以前とは違った姿をしておられたからです。 13 やっとイエスだとわかると、二人はエルサレムに飛んで帰り、ほかの弟子たちにこの出来事を知らせました。しかし、だれも彼らの言うことを信じませんでした。

14 その後、十一人の弟子たちが食事をしているところにイエスが現れ、彼らの不信仰をとがめられました。「どうして、わたしが復活したと言う者たちの証言を信じなかったのですか。」

Observation(観察)

復活されたイエス様の目撃者のなかに、エマオの途上でイエス様に出会った弟子達がいた。

有名な箇所ではあるが、彼らはイエス様と知らずに旅路を共にし、宿でイエス様がパンを割かれ祝福されるのを見て、その方が復活されたイエス様であると気がついた。

マルコの福音書では復活の目撃について多くを書いていないが、特徴的なのは「どうして、わたしが復活したと言う者たちの証言を信じなかったのですか。」と弟子達を咎められた、という所である。今年は2024年だが、イエス様の時代と現代は時間は途切れることなく繋がっている。当時弟子達に言われた言葉は、いまこの時代に生きるイエス様の弟子にも言われているのだ。

Application(適用)

私は、イエス様の十字架と罪の赦しを信じても、地獄を打ち破っての復活、そして昇天をイエス様の言葉通り、受け取り信じているだろうか。中途半端なところで福音書を読み終わらせては居ないだろうか。信じるなら、はじめから、おわりまで、きれいに信じよう。

Prayer(祈り)

イエス様、福音を信じると言いながら選り好みしたり、理解の途中に留まって放置していたりしました。弟子としてしっぱりと学び、イエス様の言葉を理解したいです。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

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