Scripture(聖書の言葉)
13 イエスはまた湖畔に行き、集まって来た群衆にお教えになりました。 14 岸辺を歩いておられると、税金取立て所にアルパヨの子レビ(マタイ)が座っていました。「ついて来て、わたしの弟子になりなさい。」イエスの呼びかけに、レビはさっと立ち上がり、あとに従いました。
15 その夜、レビはイエスを夕食に招待しました。その席には、取税人仲間や、評判の悪い人たちも多く招かれていました。イエスに従う者には、こういう人々も多かったのです。 16 これを見たパリサイ派(特に律法を守ることに熱心なユダヤ教の一派)の律法学者は、弟子たちに詰め寄りました。「おまえたちの先生は、どうして、こんなどうしようもない連中といっしょに食事をするのか。」 17 彼らの非難に、イエスはこうお答えになりました。「丈夫な者に医者はいりません。病人こそ医者が必要なのです。わたしは、自分を正しいと思っている人たちのためにではなく、罪人を神に立ち返らせるために来たのです。」
Observation(観察)
イエス様の弟子達には、漁師の他、収税人達や、評判の悪い人たちが居た。体面を気にするパリサイ派に人々は、イエス様の行動が理解できず非難した。イエス様の答えは「丈夫な者に医者はいりません。病人こそ医者が必要なのです。わたしは、自分を正しいと思っている人たちのためにではなく、罪人を神に立ち返らせるために来たのです。」出会った。
罪を罪と認識しなければ永遠に悔い改めることは出来ない。しかし病を負い、社会的に苦しめられ、疎外される寂しさを知っているものの心の皮は薄い。自分が罪あるもので、救いを必要とするものであることが理解できる。
Application(適用)
私が救われた時は、心身共に絶望のどん底の中であった。自殺を企てるほどの絶望の中でイエス様に出会った。沢山の新しくイエス様を信じる人を見てきたが、順風満帆の中で自身いっぱいにイエス様を受け入れる人を見たことがない。皆何らかの悩みと重荷を負い、救いを探して教会にたどり着くのだ。かつて自分がそうだったように、イエス様がそうされたように、受け入れることが大事だ。積極的に関わり、(その人の厭では無い範囲で)励ますことが出来たらと思う。
Prayer(祈り)
イエス様、沢山の傷ついた人が教会に来ます。イエス様の弟子として、どう行動したら良いでしょう。緊張して固まってしまう事も多いです。なすべき事を教えてください。
イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。