Scripture(聖書の言葉)
10-11 数日そこに世話になっているあいだに、やはり預言する力のあるアガボという人の訪問を受けました。この人は、わざわざユダヤから来たのです。アガボはパウロの帯を取り、それで自分の手足を縛ってから言いました。「聖霊が告げられました。『この帯の持ち主は、エルサレムでユダヤ人からこのように縛り上げられ、ローマ人に引き渡される。』」 12 これを聞いた者はみな、この町のクリスチャンも、同行していた私たちも、声をそろえてパウロに、エルサレムへは行かないでほしいと涙ながらに訴えました。
13 しかし、パウロは言いました。「なぜ泣いたり、私の心をくじいたりするのですか。私は主イエスのためなら、エルサレムで投獄されてもかまわないと、いや、殺されてもいいとさえ覚悟しています。」 14 もうこれ以上何を言ってもむだで、私たちは、「主のお心のままに」と言って、黙るほかありませんでした。
Observation(観察)
エルサレムへ、そしてローマに渡ろうとするパウロに対し、人々は彼の安全を願うが、明らかに状況は厳しい。この旅に同行していたルカでさえも、泣いて止めるほどの状況だった。
しかしパウロの決意はゆるがず「なぜ泣いたり、私の心をくじいたりするのですか。私は主イエスのためなら、エルサレムで投獄されてもかまわないと、いや、殺されてもいいとさえ覚悟しています。」とすら言っている。
何をしてパウロをここまで突き動かすのか、もはや人間的な意欲では無いことは確かだ。パウロに未来が見えていただけでは無い、しかし彼は明らかに神の意志(福音をローマに、ヨーロッパに)を受け取っていた。自らが犠牲になることも厭わないほどの意思を自分の思いとして持ったのだ。
Application(適用)
わたしはどうだろう。私は神から「どうしても、これをやってほしい」という何かを受け取っているだろうか。それともそのような頼み事を神から受けるにはまだ信頼が足りないのだろうか。
召しには様々なものがあると思う。教会に留まり、ある時、ある人に、特定の事を伝えることだけが使命の人も居るかもしれない。それが結果的に世界を動かす結果にもなるかもしれない。
かつて結核で死にかけていたチョーヨンギ師を伝道するために聖書を置いていった女学生の話がある。彼女の存在が無ければ、現在のキリスト教地図は大分変わっていただろう。(後でずいぶん探したが、結局彼女は何者だったのかわからなかったそうだ)
教派を問わず、膨大な数の、ピンポイントで召された人が確実にパスをつなぐようにして、神の働きはなされているように思う。私もそのパスが来たとき、確実にそれを受け、つないでゆく事ができるようにしたい。
Prayer(祈り)
イエス様、あなたがせよと言われたことを誠実に進めることが出来るように、気力、体力を回復させて下さい。任されたことを喜び、成し遂げることをもっと喜びたいです。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。