Scripture(聖書の言葉)
7 激しい論争が続いたあと、ペテロが立ち上がり、意見を述べました。「皆さん、お忘れですか。ずっと以前、外国人も福音のことばを聞いて信じるために、神様が私をお選びになったことを。 8 人の心の中をご存じの神様は、ご自分が外国人をも受け入れておられることをわからせようと、私たちと同じように、彼らにも聖霊を与えてくださったのではありませんか。 9 神様は、外国人とユダヤ人を少しも差別なさいません。だからこそ、私たちと同じように、信仰によって彼らの心もきよめてくださったのです。 10 それなのにどうして、私たちも、私たちの先祖も負いきれなかった重荷を、彼らに負わせようとするのですか。そんなことをしたら、それこそ、神様がなさったことを訂正するようなものです。 11 私たちは、すべての人が同じ方法で、すなわち、主イエスが一方的に与えてくださった恵みによって救われる、と信じているのではありませんか。」
12 これを聞くと、あえてそれ以上議論する者はいなくなりました。そして一同は、神が外国人の間で行われた奇跡について語るバルナバとパウロの話に、耳を傾けました。
Observation(観察)
この箇所は、ユダヤ人以外のクリスチャンが、どこまで当時のユダヤ人の慣習に従うべきか、という議論の場である。ペテロはここで、「8 人の心の中をご存じの神様は、ご自分が外国人をも受け入れておられることをわからせようと、私たちと同じように、彼らにも聖霊を与えてくださったのではありませんか。 9 神様は、外国人とユダヤ人を少しも差別なさいません。」と述べている。聖霊様の働きの表れは、すなわち神がイエス様による救いをユダヤ以外の国々にも示し、お与えになったことのしるしであると言うことだ。
この聖霊様の働き、という一点の共通項でエルサレム教会と異邦人教会は結ばれ、分裂の危機から回避された。
しかし現在、日本のキリスト教会では聖霊様の働きについてオープンに語られるのは極一部のグループに限られている。個人的な聖霊体験は許容するがそれを伝えるのは歓迎されない雰囲気だ。その理由は僕には分からない。ただ分かるのは私をいま生かし、立たせ、御言葉を読ませ理解させてくれているのは聖霊様だと言うことだ。二千年前と変わらない方法で私を生かし動かして下さった、それだけで私にとって聖書は全て信じるべきもの、受け入れるべきものとなったのだ。
Prayer(祈り)
イエス様、あなたが約束され、教会の誕生と共にお送り下さった聖霊様を私は歓迎します。私の心深くに働き、私を変え、御言葉を気づかせて下さり、共に歩んで下さい。貴方のみ業が働かれるときはどうぞ自由に私を使って下さい。栄光はすべて主のものです。
イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。