エルサレムに戻る(ルカ24:28-34)

Scripture(聖書の言葉)

28 そうこうするうち、エマオに近づきましたが、イエスはまだ旅を続ける様子です。 29 二人は、じきに暗くなるから、今晩はここでいっしょに泊まってくださいと熱心に頼みました。それでイエスもいっしょに家に入りました。 30 食卓に着くと、イエスはパンを取り、神に祝福を祈り求め、ちぎって二人に渡しました。 31 その瞬間、二人の目が開かれ、その人がイエスだとわかりました。と同時に、イエスの姿はかき消すように見えなくなりました。 32 二人はあっけにとられながらも、「そう言えば、あの方が歩きながら語りかけてくださった時も、聖書のことばを説明してくださった時も、不思議なほど私たちの心が燃えていたではないか」と語り合いました。33-34 そして、すぐエルサレムへ取って返しました。

Observation(観察)

十字架に架けられたイエス様が復活されたという噂を聞きながらも、弟子達はエルサレムを逃れ、エマオへの道を歩いていた。その途上、復活されたイエス様に出会う(しかし彼らはそれと気づかなかった)。宿に着き、パンをちぎって渡した途端、彼がイエス様だと理解した。パンをちぎる行為は、生ける御言葉であるイエス様の身が裂かれる、という意味でもあり、沢山の教会が植えられ(聖餐式がなされ)、御言葉が全世界に広げられるという意味でもある。あるいは弟子が最初に連想したのは、山上の垂訓の際のパンの増殖の奇跡であったのかもしれない。

彼らがイエス様だと気づくとと共に、イエス様のお姿は消えてなくなった。しかし彼らの心に残ったのは寂しさや絶望では無く、御言葉に対する熱い思いであった。彼らは踵を返し、再びエルサレムを目指すのであった。

Application(適用)

失敗したときや、どうしようもない事情で悪い選択をしてしまうとき、私たちには罪悪感が芽生える。あらゆる責任を投げ出して、布団をかぶってやり過ごしたい気分だ。しかしそのようなときでも、ふと心が軽くなる瞬間がある。御言葉を思い出すときもあれば、過去に経験した何か楽しいことの事もある。そのような心を切り替えて下さる瞬間に、イエス様がそばにおられると信じたい。人生はとても長い、重荷は重く、そして苦も楽も沢山ある。けれども、みことばを思い出したなら、私はエマオに逃げるのでは無く、エルサレムに取って帰りたい。仮に苦しみが同じであっても、神の近くに居たいのだ。

Prayer(祈り)

イエス様、悲しみに沈むときは目がかすみ、御言葉も心に留まりません。しかし弟子達に現れて下さったように、思いを再びあなたに向けるチャンスを下さい。

御教えから逃げること、信仰を棄てることも出来たかもしれません。けれども私はあなたにすがります。楽な人生などはじめから有りません、ならばせめて貴方の荷を負いたいのです。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

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