Scripture(聖書の言葉)
20 ある日、パリサイ人たちがイエスに尋ねました。「神の国はいったい、いつ来るのですか。」イエスは答えて言われました。「神の国は、目に見える形では来ません。 21 『ここに来た』とか、『あそこに来た』とか言えるものではないのです。はっきり言いましょう。神の国は、あなたがたの中にあるのです。」
Observation(観察)
イエス様は神の国の到来について何度も話されている。ユダヤの人々はそれをローマ支配からの独立ととらえたり、新しい王制の勃興を期待していたようだ。
けれどもイエス様は、神の国は私たちの中にある、と言われている。いつ来る、とかどのように来る、という観点でとらえるべきものでは無く、「すでにこられているものを再発見する」のだと言われているのだ。
神から離れている人であっても、「創造主である神」という概念が残っているなら「霊の残り(マラキ2章)」が未だ神を求めているのだ。
ましてイエス様を信じ受け入れたものであるなら、私たちの内面の主体をイエス様に明け渡したいと願う。イエス様を王とした神の国は、私たちの内にすでにあり、私たちの人間的属性、原罪に対峙している。しかし私たちが自分を明け渡し、歓迎するならば、私たちは神の国の民となる。
Application(適用)
イエス様が自分の代わりに生きて下さい、と何度も叫んで願った事がある、それは大概自分で抱えきれない失敗をしたときだ、明け渡すと言うより丸投げに近い。逆に成功しているときは、明け渡す、という概念がピンとこなくなる、それほどに自我が肥大してしまうのだ。
中庸な今こそ、イエス様を中心にした生き方を実践しよう。
Prayer(祈り)
イエス様、あなたの喜ばれる生き方を選びたいです。緊急事態の時では無くても、あなたに頼りあなたを喜ぶものになりたいです。足ることを知り、平安を保ち、助けあうひとになりたいです。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。