Scripture(聖書の言葉)
27 金持ちは言いました。『ああ、アブラハム様。それならせめて、ラザロを私の父の家にやってください。 28 まだ五人の兄弟が残っているのです。彼らだけは、こんな目に会わせたくありません。どうぞ、この恐ろしい苦しみの場所があることを教えてやってください。』 29 『それは聖書が教えていることではないか。その言うことを聞くべきです。』 30 金持ちはあきらめません。『でも、アブラハム様。彼らは聖書を読みたがらないのです。ですが、もしだれかが死人の中から遣わされたら、彼らも罪深い生活を悔い改めるに違いありません。』 31 アブラハムはきっぱり言いました。『モーセと預言者たちのことばに耳を貸さないのなら、だれかが生き返って話したところで、彼らは聞き入れないだろう。』」
Observation(観察)
神を敬わず、死後地獄に行った金持ちは、天国にいるアブラハムに懇願する。金持ちの五人の兄弟達に、地獄があること、としてこんなところに来ないように罪深い生活をやめるように伝えてほしいということだ。
しかしアブラハムは『それは聖書が教えていることではないか。その言うことを聞くべきです。』 と断る。金持ちは『もしだれかが死人の中から遣わされたら、彼らも罪深い生活を悔い改めるに違いありません。』と食い下がっている。
最終的にアブラハムは『モーセと預言者たちのことばに耳を貸さないのなら、だれかが生き返って話したところで、彼らは聞き入れないだろう。』と答えている。これはイエス様の復活を指している。実際にイエス様の復活を見ても神を信じない者は大勢居た。現代でもイエス様の誕生や復活を多くの人は喜んで祝うが、イエス様に従おうとする人は本当に少ない。
Application(適用)
神の正しさと生きるべき指針は、聖書の中に明らかに示されている。その中でもイエス様の死と復活についてが中心的なテーマだ。グーテンベルグの発明以来、創造を絶する量の聖書が印刷され世界中に届けられている。にもかかわらず敬虔に生きようとする者の数は少ない。
アブラハムの言う、「モーセと預言者に耳を貸す」とは、実際に聖書を開いて、神の言葉として心に届ける、という意味だ。ただ持っていたり、気まぐれにあちこちページを開くだけでは神の言葉は届かない。
もしも裁判所から一冊の本が届いて、「これを一年間きちんと読まなければ無期懲役で投獄されます」と言われたらどうだろう。一字一句落とさず必死に読むのでは無いだろうか。もちろん神はそのような条件を出すことはされないが、自分の魂の糧をないがしろにする事は避けたい。
もしも神を信じている、というのであれば、神の言葉に誠実に向き合いたいのだ。
Prayer(祈り)
イエス様、御言葉を読んでいます。けれどあなたの語られる事をより深く知りたいです。聖霊様、助けて下さい。聖書全体を通して語られるテーマと箇々の節が私の中で有機的につながりますように、生きておられる神の言葉が私の中で生きる者となって働いて下さいますように。
イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。