見付けられた者(ルカ15:8-10)

Scripture(聖書の言葉)

8 別のたとえで話してみましょう。女が銀貨を十枚持っていて、もし一枚なくしてしまったら、女はランプをつけ、家の中をすみからすみまで掃除して、その一枚を見つけるまで、必死で捜し回るでしょう。 9 そして見つけ出したら、友達や近所の人を呼び、いっしょに喜んでもらうでしょう。 10 同じように、一人の罪人が罪を悔いて神のもとに帰った時、天使たちはたいへんな喜びにわくのです。」

Observation(観察)

イエス様が取税人や罪人達と食事をすることをパリサイ人達に批判されたイエス様は、失ったと思われる物が戻ってくることを例えに話をされた。100匹の内の一匹の羊、10枚の銀貨の内の一枚、そして有名な放蕩息子の例えだ。

大事にしている人や物を失ってしまうことはとても辛く悲しいものだ。いつ見つかるのか、果たして帰ってくるのか、どのように暮らしているのか、想像するだけ悲しくなる。ヨセフを失った(死んだと思った)ヤコブは何週間も慰めを拒んで食事もとらず嘆き悲しんだとある。

Application(適用)

私たちも失う側に立つときがある。家族を失ったときの喪失感は本当に耐えがたい。不完全な私のような人間ですらそうなのだから、父なる神がイエス様を十字架に付けたときの悲しみはどれほどであっただろうか。

また私たちは見つける側になることもある。先日家内がお気に入りの眼鏡を無くし、一ヶ月以上、家中を探し悲しんでいた。しかしふとした時に、突然出現したかのように無くなったはずの眼鏡が見つかった。このときの家内の喜びようはすごかった。

イエス様が失われていた私たちを再発見されたときは、どれほど喜ばれたことだろう。

イエス様に喜ばれているものであることを忘れないようにしよう。

Prayer(祈り)

イエス様、あなたに立ち返ったとき、あなたは「死んだものとあきらめていた息子が生き返り、行方の知れなかった息子が帰って来たのだから。」と喜んで下さいました。放蕩息子が父の家に帰り住んだ様に、私もあなたのところにずっと住まわして下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

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