Wonderland Devotion

私が行きます

イザヤ6:3-8

Scripture(聖書の言葉)

3 セラフィムは互いに歌いました。
「聖なる、聖なる、聖なるお方。それは天の軍勢の主。全地は主の栄光で満ちている。」
4 このすばらしい合唱のために神殿は土台から揺らぎ、聖所はたちまち煙でいっぱいになりました。

5 私は恐ろしくなって、思わず叫びました。
「もうおしまいだ。
口の汚れた罪深い民に属する口の汚れた私が、
天の軍勢の主である王を見てしまったのだから。」

6 すると、セラフィムの一人が祭壇へ飛んで行き、燃える炭を火ばさみでつまみ、 7 その炭を私のくちびるにつけて言いました。
「さあ、これであなたは罪がないと宣言された。
この炭がくちびるに触れたからだ。
あなたの罪はすべて赦された。」

8 続いて主の声がしました。「だれをわたしの民への使いとしよう。だれが行ってくれるだろうか。」
「主よ、私が行きます。私を使いに出してください。」

Observation(観察)

神の栄光を見たイザヤは、恐れの余り「もうおしまいだ。口の汚れた罪深い民に属する口の汚れた私が、天の軍勢の主である王を見てしまったのだから。」と叫んだ。しかしセラフィムが燃える炭をイザヤのくちびるにつけて、罪の赦しを宣言した。これは神が罪を取り除き、赦してくださる恵みを象徴している。神の「だれをわたしの民への使いとしよう」という声にイザヤは「主よ、私が行きます。私を使いに出してください。」と応じた。
罪の赦しの次に来るアクションは献身だ。神学校に行く人もいるかもしれないし、奏楽者になる人もいるかもしれない。目立たない奉仕を丁寧に行うことを選ぶ人もいるかもしれない。どのような形であれ、救われた人は「だれが行ってくれるだろうか。」という神の呼びかけを聞く。この呼びかけに誠実に従おう。難しいことであっても、単純なことであっても心から神に仕える姿勢で救いに応えよう。

Application(適用)

私は今教会で奏楽の奉仕をしているが、決して簡単なものでは無い。技術的なことではなく、心を正しく保つことの難しさだ。ステージに立つだけで高ぶりが襲ってくる。同時に自分は足りない者だという劣等感がやって来る。まるでジェットコースターに乗ったように心が乱高下する。しかしこれは神に呼ばれて行っている働きだ。神の前に音楽という祈りを注ぎ出す働きだ。苦しみ、もがくことがあったとして神にお仕えしよう。

Prayer(祈り)

イエス様、ステージに立つとき、あなたがともに居て下さい。あなたの支えが無くては立っていることも難しいです。出す音色の一つ一つを祝福して下さい。奏楽を通して多くの人々があなたを讃え喜ぶことが出来ますように。どうか私を用いて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

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